昭和四年の運行以来吉野山へ訪れた人々を四季折々の自然へとお連れし、吉野山の住人の大切な生活手段としても今もなお吉野山の歴史と共に歩んでいるところです。この日本で現存する最古のロープウェイとしての歴史の重みと誇りを大切に、今後も新たな歴史を想像してまいります。

桜の名所、吉野山と共に歩み八十年。

吉野ケーブルの歴史

現存する日本最古のロープウェイ。世界遺産、吉野・大峯。紀伊山地の霊場と参詣道。

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ケーブル生誕までの流れ

年表

昭和初期 「人を運ぶロープウェイ吉野山に作りたい」この思いを有言実行したのが内田政男氏である。
当初、世間の目は冷たく「空中を走るとはとんでもない」と非難の声があがり、協力してくれるひともいなかった。しかし独力で資金かき集めた。
そして地元の有志達と共にケーブル建設にのりだした。
資金集めをしながら、吉野山千本口〜霊場・大峯山まで約21kmの免許を申請した。
申請から2年後 役所から試験的に、現在の千本口駅〜吉野山駅までの349mが認められた。
昭和3年 吉野大峯ケーブル自動車株式会社のケーブル建設工事が、安全索道商会の手によって建設開始。
昭和4年 3月12日、開業。当時の片道運賃は15銭だった。
初めは怖がっていたお客さまも、次第に足を運んでくれるようになり、行楽シーズンには多くの人が足を運んでくれた。
第二次世界大戦 約10年の間で営業も波に乗ってきた頃、戦時色が強まり雲行きが怪しくなってきた。
大戦に突入すると、「鉄材として提供してほしい」と軍からの、半ば強制的な要望があった。
しかし「我が子同然のケーブルを手放すわけにはいかない」と抵抗し、何とかケーブルを生き残らせることが出来た。
昭和41年 20人乗りの客車から28人乗りの客車に交換された。
この客車は、3代目として活躍した。
平成24年7月 機械遺産に認定。
平成24年10月 貸切バスの運行を開始。
現在 昭和3年から四季の移り変わりを見てきたこのケーブルは、駅舎・支柱・外壁など丁寧に補修を加えてきたおかげで、開通当時の姿で山を見守る事が出来ている。
また、運輸開始以来大きな事故もなく、安全に運行されている。手動式であるからこそ、お客様を運ぶ重みがより伝わってくるのかもしれない。

このたび先代達から受継がれ続けている当施設・設備が
2012.7.23 機械遺産 に認定された。
これからも安全運行と施設の保全に努め、歴史を積み重ねていきたいと考える。

当時の写真

千本口駅にできた行列 大混雑の路線バス 昭和32年当時のケーブル
千本口駅にできた行列 大混雑の路線バス 昭和32年当時のケーブル
  千本口駅から下りる人々   創設者の内田政男氏  
千本口駅から下りる人々 創設者の内田政男氏